りゃんさんの赤裸々日誌~自由を目指すサラリーマン~

「人生を楽しむ」をモットーに30代前半、年収800万を捨てた夢見る男の奮闘記!

とある会社員の絶望記録

転職して3ヶ月くらいで仕事には慣れた。飛び抜けては無いが平均以上の数字は残せた。人間関係はあまり良く無いが、過度のストレスは感じなかった。よくいる仕事をサボるオヤジと、噂好きなおばちゃんの巣窟だ。

縦社会が強い体育会系的な組織だと直感した。半年もすれば全国TOP10に入る営業成績を残せたし、商品知識もついてきた。

 

給料も等級も上がって割と順風満帆だったが、不動産業界上がりの先輩社員が半年後くらいに転属してきて全てが変わった。

 

俺が仕事で成果を出すと、不動産係長は、辞めてくれない?そういうの。俺もやんなきゃいけないじゃん。と訳分からない事を言ってきた。また、口を開くと誰かの悪口しか言わず、お世話になっている人の悪口まで平気で言うような奴だった。しかもある事ない事盛って話をする。

その時は、こいつ頭と性格が悪い奴なんだなって、極力関わらないようにしていた。俺は悪口にも一切乗らなかった。そうなんですねー色々ですねーと濁していた。

 

今思えば、これが良くなかったのか。

 

先輩係長は仕事があまりできずに得意先からもなんであいつあんな偉そうなの?って俺に問い合わせが来る事がある程だった。

俺はすみません、根はいい人なんです。(きっと)と一言だけ謝った。

売上高兆を超える上場企業に、嫌なやつはいないだろう、と当時は考えていた。

仕事のできない不動産係長は社内ネットワークだけは異常に広かった。

 

ある時、俺がした細かいミスを指摘するという形で不動産係長が業務で関わりのある人全員に一斉にメールを送った。俺をコケ落とすような文面で。

何度言っても分からないからメールで送ったとか、本当にしっかり仕事しろよ等、あたかも周りからは俺がバカに見えるような文面を送ってきた。そのミスが初めてでどんな小さい事でも、何度も。

俺と直接的な関わりの無い人はそれを見てどう思うだろうか。中には同情してくれる人もいたが、所詮他人事だ。ミスをしたのは事実だから弁解はしなかった。弁解をしても、あいつは口ごたえする生意気なやつだ、と噂を流されるだけ。

 

また、俺は記憶力はいい方で自分の抱える数字は常に把握していた。

 

ある時以降、課長に報告してる数字と自分で抱えてる数字の辻褄が合わなくなってきた。原因は不明だったが、徐々にうっすら気づいてきていた。

報告書の数字が捏造されている…?まさか。

でもその予感は的中。不動産係長が俺の報告数字を出鱈目に誤魔化していた。一見違和感無い形で。

期中、成績を残した俺の担当先は増えていた。それに伴い、営業予算も本来以上に、知らない間に俺に上乗せされていた。俺が不在時の会議で勝手に決まったようだ。

俺の数字は、めちゃくちゃになった。自分で把握している数字すらも正しいのか分からなくなっていく程に。

報告は俺→不動産係長→課長→と流れていく。

把握している数字が毎回おかしいと課長に伝えた。

不動産係長は上にはヘコヘコするため上司のお気に入り。上層部からも気に入られているらしい。ゴルフが上手いから。

信頼を失った俺の訴えは課長に簡単に退けられ、俺は数字の管理もできないダメ社員のレッテルを貼られた。本来の数字ならクリアしていたはずの数字も、未達で片付けられまともな報告もできない俺の査定は最低だった。

 

信頼していた同僚が辞めた。人間関係に耐えられなくなったそうだ。

俺の担当先の比重が更に高くなった。得意先からの評判だけは高いという理由だった。不動産係長の負担は変わらない、むしろマネジメントを理由に軽くすらなっていた。(実際は得意先のクレームが入っていた事を後になって知るが。)

慣れない担当先が増え残業をしていると、早く帰れバカ。仕事遅ぇな、そんなんだからダメなんだよ、と言われていた。

 

飲み会の強要もあり、業務は上手く回らなくなっていた。飲み会を業務を理由に断ると、更に罵倒された。仕方なく付き合っても、ひたすら説教をされた。

当時は子供が産まれたばかりで、妻は周りに頼る人がいない。社内接待も控えめにしていた。というより、行けなかった。飲み会に参加できず、いわゆる根回しが全くできなかった。

そして俺に関する悪い噂が知らない内に全国に回っている事を知った。係長がある事ない事吹聴していた。

 

俺は年に1回の全国営業会議でなんとか挽回しようと土日も休まず戦略資料を作って事業展開を考えた。社内で使えるリソース、業界を取り巻く環境、今後の市場予測、需要創造について。細部まで細かくシミュレートした。資料の配色や写真まで最新の注意を払って、渾身の資料を作り上げた。

課全体での発表となったが、発表者は係長。その資料は高い評価を得た。だが俺が知らない内にその資料は係長が作った事になっていた。そしてあろう事か、数百人の前でこいつは子育てばっかして仕事に身が入ってないんですよ、と抜かしやがった。

あんなに頑張ったのに、せめて…労いの言葉が欲しかった。

評価される係長、何もしていない俺。全国でこのような構図が出来上がってしまった。ここで訂正の声を上げても、信頼されていない俺の声を聞いてくれる人はいないだろう。滑稽なだけだと思った。

資料の最後にはワンチームと付け加えられていた。ワンチーム…?

 

その後、会議の打ち上げで俺がトイレに立った時、ある言葉を聞いてしまった。

あいつ、ほんとに使えないんですよ!だからダメなんですよ!と大声で。会場に響き渡るような声で。

転職したばかりで滅多に会わない他部署の人間を、誰が信用できるのか、誰が信用できないのかも分からず、係長の悪行を誰かに相談する事も出来なかった。誰々が誰々に不満を持っているという噂が、俺にも流れてくるからだ。

 

これらがパワハラなのか、モラハラなのか、俺には正直分からなかった。でも俺はここで心が折れた。涙は出なかったが、折れる音がはっきりと聞こえた。その日は胃液を吐くまで飲み続けた。

 

そこからはもう地獄。

皆が俺の悪口を言っているように聞こえるし、笑い声が嘲笑に聞こえる。皆が俺を見ている気がする。実際に優しくしてくれる人に対しても、全く信頼する事ができなかった。何かを話せば噂されると思い込んでいた。

 

自信を無くした俺は何をするにも話は聞いて貰えないし、ひたすら罵倒される日々。簡単なミスも積み重なり、数字は全く残せなかった。得意先からも心配されるが、子供の泣き声がうるさくて寝れてなくて…と言い訳した。ワンチームだから助けてやるよ、何かあったら言えよ?そう言ってあいつは笑った。

係長から課長代理に肩書が変わっていた。

 

家族のために辞めるわけにいかない、と1年程無気力で仕事した。気づけば頭は白髪まみれになり、体重が1年で15キロ増えた。夜酒を飲んで紛らわせていたから。

そもそもここまで家族と一緒にいる時間は極端に少なかった。生きる意味と家族の形を考えた結果、俺はその職場から逃げ出す事にした。妻からは当然反対されたが、次の会社がどんなに素晴らしいか必死に説得した。心配を掛けたくなかったため、会社での出来事は全く相談していなかった。義父にも挨拶に行ったが、お前は甘いと叱られた。

 

最終的に知り合いのツテで再度転職したが、その会社で鬱と診断された。精神が限界で人間不振になっていた。2度の休職を挟んだ後、俺は退職した。俺を引っ張ってくれた人には泣きながら土下座をした。経営幹部との面談時には、期待して損をしたよ。と言われた。

 

無職になってから半年、今でも仕事辞めたいが口癖になっている。仕事なんかしていないのに。

 

実家に引きこもり、子供とも時々しか会えていない。妻が俺に対して笑顔を見せる事はほとんど無くなった。

 

ほんの数年前まで、俺の顔には笑い皺が沢山あって、妻も気に入ってくれていた。鏡を見ると、肉で押し潰されそうな皺の無い目と、白髪混じりのおっさんが写っている。こいつは果たして俺なのか?

 

…ほんの少し前まで、全ては順調だったはずなのに。あの職場から逃げて数年経った今でもあいつの笑った顔が、言葉が夢に出てくる。悪魔のような笑い声で。